植物乳酸菌の力で体の中からキレイに! 「飲む、植物乳酸菌」の野村乳業株式会社

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代表ご挨拶
〈創成期〉1897年(明治30年)〜1914年(大正3年)頃

初代野村郁造が安芸の国府のあった広島県安芸郡府中町に野村牧場を創設(1897年)酪農業を開始。当時の人々はなかなか牛乳になじめず、病人か乳幼児だけの特別の飲物で、高価な薬のような感覚で飲用されました。

1914年(大正3年)低温殺菌処理した牛乳を広島市高等師範学校(現広島大学)県庁、その周辺に「野村高等牛乳」の名称で販売を始めました。しかし、明治、大正、昭和の初期までは欧米の乳肉を中心とした食文化と違い、穀類中心の食文化であったがため、飲用牛乳の消費は伸びず、就中バター、チーズ類の乳製品の加工技術も稚拙で、乳業苦難時代が続きました。

〈戦後復興期〉1952年(昭和27年)〜1963年(昭和38年)頃

1950年(昭和25年)食品衛生法が施行され、従来の警察行政から保健所に監督指導が移管。牛乳の殺菌処理法も低温殺菌法からHTST法(高温短期間殺菌)に変わり、衛生面、製造面で一段の飛躍をとげた時期でありました。

更に1957年(昭和32年)殺菌工程技術の著しい進歩でUHT法(超高温瞬間殺菌法)が開発され、細菌学的には無菌に近い高品質で保存性の高い優れた飲用牛乳が生産、販売されるようになりました。

この間、衛生設備の強化、衛生管理の徹低を図り、広島県海田保健所長、広島県知事より施設表彰受賞し、また日本食品衛生協会長より功労賞を受賞しました。

〈第一伸展期〉1964年(昭和39年)〜1981年(昭和56年)

1964年個人企業から改組して野村乳業株式会社を設立し、社長に野村廣が就任。
牛乳処理機械の自動化、高速化の目的で独ツーパック社より紙容器専用充填期を導入、英国APV社より連続式牛乳濃縮機を導入し、濃厚牛乳(加工乳)コーヒー牛乳、ヨーグルトの原料である濃縮乳の製造を始めました。

また、「学校給食牛乳の指定工場」に設定され、従来の瓶装形態から紙容器に変換し、軽量化、経営効率化を高めることになりました。

1968年(昭和43年)工場を増改築し、乳酸菌飲料専用充填ラインを設置し、プラスチック容器の「厚生省容器例外承認」を受け、ワンウエイシステムを確立し、乳酸菌飲料の製造、販売を開始しました。

1972年(昭和47年)には全国飲用牛乳公正取引協議会より「認定検査機関」に指定されました。この年厚生大臣より永年の功績が認められ厚生大臣功労賞と施設の改善向上により、同時に厚生大臣施設表彰の栄誉あるダブル受賞をしました。

1974年(昭和47年)に入り、発酵乳ヨーグルトの増産を目的として、自社独自で考案した「冷・暖両用自動培養室」1号基を完成。以後積極的に新製品の開発に取り組み、市場拡大を図り、設備拡充を続け1985年(昭和60年)までに16号基まで完成させるに至りました。

1978年(昭和53年)国家試験資格者を置き、セキスイ化学と共同で、独自の「固定床式活性汚泥法」による工場排水処理施設を完成しました。

〈第二伸展期〉1982年(昭和57年)〜現在

1982年(昭和57年)社長野村廣死去により、新社長に野村守男就任。
ヨーグルトの品種多様化を経営戦略にかかげ、日本初のプリンヨーグルトを開発して、全国規模で営業活動を展開、業界での知名度も高まり飛躍的な発展をとげました。

地上3階建ての研究棟新築落成、研究技術員を充実して積極的に商品開発に取り組み、ヨーグルトの多品種化を図っていきました。

平成に入り、清涼飲料はちみつシリーズ(オレンジ、レモン、グレープ、アップル)の製造を始め、主に関西圏を中心に出荷、販路拡大をはかりました。

広島市西区商工センター用地にヨーグルトの配送基地(事務所、倉庫)を建設。本社用地内に鉄骨2階建、1階にヨーグルト専用大型冷蔵庫、2階に本社事務所を新築しました。

この年(1993年)全国はっ酵乳・乳酸菌飲料協会より協会運営並びに業界の発展に貢献した功績により功労賞表彰を受けました。

また、1997年(平成9年)には創業100周年を迎え、産業経済発展と社会福祉増進への寄与を認められ広島商工会議所より表彰を受けました。

2000年(平成12年)牛乳製造ラインを従来の衛生管理方式から、製造工程ごとに、あらゆる角度から危害を分折し、それらを重点的に管理することで製品の安全性を確保するという、HACCPシステムを構築し、2001年(平成13年10月)厚生労働省からHACCP対応工場として承認を受けました。